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「無理して学校に行かなくていいけど、自分を変えていかないと、どこへ行っても同じことになる」。
「いじめられている人は、そうじゃなくても、『死のう』と思っている人は、いじめられたから、辛いから、『死のう』なんて思わないで、彼のように強くなって欲しい。」
「周りの子は、気を遣って、話しかけてくれているみたいですが、本人が話しかけないことには」
「勉強だけしていればいいわけじゃないんだぞ」
「バレーボールは仲間とするものです。仲間を信じて頑張ってください。」
「バドミントンは、一人か二人でするものだけれど、バレーボールは、6人でするものだ。」
「予備校で友達作らなかったのか?」
私「いいえ」
「商業高校のやつなんかと、いっしょにいたくない、って言われたか」
私「いや、作る気になれなかった」
「でも、いい先生の講座とか情報交換できるだろ」
私「あー」
「笠井、俺は、お前のことを一年しか見ていないけれど、『心を開かない』ところがあるぞ。」
私「…」
「心を開かない」も「人を信じない」も「話しかけてくれた人に話しかけられない」も同じことだと思う。
ずっと、言ってしまえば、生まれたときから、私は私のことを好きだと思ってくれる人がいるとは思わなかった。
3歳くらいのとき、預けられた家に住んでいた従兄たちは、何かと母方の祖父母から可愛がられる私のことが好きじゃなかった。