服買いたい。


私の家には、私の服が数十着、もしかしたら、それ以上あります。
そのほとんどは、祖母が買ってきたものです。


私がどれだけ祖母に、「買ってこないで。」と言っても、祖母は買ってきます。

だから、私は、勘違いをしていました。
私が服を買わないのは、祖母が買ってくるからだ、と。


でも、違うんです。

私は、もともと、服を買うのが好きじゃない。
祖母が服を買ってくることで、それに拍車がかかっている感はあるけれど。



もっと早く気づけばよかった。

そして、服を買えばよかった。

私に服を買う資格はない、なんて言っても、私が買う買わないに関わらず、どちらにしろ、私の服は、増えていくのです。







祖母は、私のすることが気に入らないんです。
私がお茶碗を置けば、その位置が気に入らない、とお茶碗の位置を変えます。
それが当たり前だったから、気づかなかった。
そのことに、自分がどれだけストレスを抱えてきたのか。


私が何か物を買えば、「そんなみっともないものを買ってきて。」と言います。
今日も出かけに適当に、祖母が買ってきた服の中から、割かし自分が好きだと思えるものを選んで外に出ようと思ったら、言われました。

「そんなの着ていくの? それより、これを着ていきゃあ。」


そんなの、って貴方が買った服でしょう。
と私は思いました。

でも、言いませんでした。


何を言っても、祖母の耳には届かないんです。

祖母は耳が遠いです。

でも、それ以前に、元から人の話を聞かない人なんです。




父にもその傾向があります。

そして、私にも。




でも、人の言うことが気になるんです。





誰かに何かを言われたとき、私は、そっけない対応をします。もしくは、そんなのはできない、と言います。


でも、私の頭の中では、それが離れなくなるんです。


「CDは買っちゃ駄目だ。」
「ラジオを聞かなければならない。
「服を買わなければならない。」
「ネルシャツがいい。」






でも、それらを実行に移すことが出来ない。




してはならない、という禁欲は割りとできます。
フラストレーションがものすごく貯まるけれど。

でも、「〜しなければならない」となると、話は別です。



できない。


でも、人から見れば、私は、「我関せずのマイペース」な人間です。



本当は違うのに。











でも、本来の私は、そうであるはずなんです。

人の目を気にしないのが、本来の私なんです。






でも、父や祖母にやること成すことを否定されていくうちに、って、人の所為にしてますか?


父に、以前、「お前はすぐ人の所為にする」って言われたんですけれど。


頭がいてえ。


なんで、人の言うように出来ないんだろう。

本当に簡単なことが出来ない。
誰でも出来ることが出来ない。





喋るのが苦手すぎる。

ちなみに、この日記、ほぼ同じ内容を別の場所に書いて、その内容じゃ、人に見せるのには不適だろう、と思って、書き直してるので、同じこと何度も言っているかもしれないけれど、気にしないでください。