今まで20年間、ずっと居場所を探してきた。
小学校のとき、学校の中には見つからないんなら、と思って、スポーツ少年団でバドミントン部に入ってみたりもした。でも、見つからない。周りの人は、「同じ学年の同性の子がいないから(正確には辞めちゃったんだけど。その子はいよちゃんだったんだけれど。)、部に馴染めなくて、でも、一生懸命、バドミントンをしている子」と私を評価した。
中学のとき、同じ考えで、バレーボール部に居場所を見つけようとした。でも、駄目だった。中一のときの先生は、転任するとき、「バレーは仲間とするものです。仲間を信じて頑張ってください。」という言葉を残した。
高校のとき、やっぱり、バレーボール部に入った。居場所を見つけたかったから。「あの学校の人たちは最低だったんだよ。私は悪くない。ここならきっと見つかるはず。」でも、駄目だった。最低だったのは、私だった。信じられなかった。「もっと頼って」そう言われた。でも信じられなかった。だから、腕の傷も隠した。みんなが半袖を着ているときも、長袖を着るしかなくて、それで、怒られ、「そのままだと、もう誰からも何も言ってもらえなくなるよ」と言われた。どうしてですか? 半袖にならないのがそんなにいけないことなんですか?


ネットを始めた。
サイトを作った。
いくつもいくつも作った。
サイトに来る人は、最初は、年上の人が多かったけれど、気づいたら、年下の子もよく来るようになっていた。

「その狂気が好きです。」
(学校のガラス割って、血流して、裸足で道を歩くことのどこが狂気だよ、ただの喜劇だろ。)

「とみのこと好きだよ。(女の子)」
(ごめん、信じられなくて。)

「勘違いしている感満載ですよ。」
(もう何もかもが勘違いさ。私の存在さえも。)






だから、本当に、あのとき、こんなに居心地のいい場所は無いな、と思った。
でも、それと同時に、何パーセントかは、怖かったんだけど。




多分、逃げてる、って言ったけど、ほんとに逃げてる。





高校とかのとき、学校が嫌で、教室を飛び出したりしてたんだけど、その様が尋常じゃなかったから、よく人から声をかけられていたのだけれど、そのたびに逃げてた。隙を見て。



そうしなければ、その人に全てを話してしまいそうで怖かったから。


でも、君になら、大起くんになら、全てを話してもいいんじゃないかと思った。
































このあいだ話したのは、ほんの一部で、それは、本当に、なんでこんなことになったんだろう、って思うのだけれど、でも、私は、その全てを話すような気もするし、話さないような気もする。



っていうか、話なんて聞いてくれなくてもいいのかもしれない。
ただ、隣にいて欲しいと思う。













でも、ほんとに、あんなに、ちゃんと話を聞いてくれた人はいなかった。
話を聞きながらも、「なんで、私がこんな子の話を聞かなければいけないのよ」って思っているのが丸分かりで、次の日の授業で、「先生って大変だよな。生徒の話も聞かんといかんし」なんて言っている人もいて、それは、しょうがないことなんだろうけれど、そんな大変で、迷惑なら、もう話さないよ、なんて思って、でも、話せ、って言われて、ああああって思って、あ?







だから、どれだけ、こんな文章並べても、ほんとは、ただ、ありがとう、って言いたいだけです、ありがとう。